2015年8月29日土曜日

前回のあらすじ 07

父の元気は次第に衰えていき、とうとう医者から絶対安臥(あんが)を命ぜられ、両便とも他(ひと)の手で始末して貰うようになった。母からは、「お父さんの生きて御出でのうちに、お前の口が極ったら嘸(さぞ)安心なさるだろうと思ふんだがね」と云われたが、哀れな私は親孝行の出来ない境遇にいた。

父の病気は最後の一撃を待つ間際迄進んで来て、家のものは運命の宣告が今日下るか、今日下るかと思って毎夜床に入った。そこへ一通の分厚い郵便が届いた。先生からであった。「此の手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世には居ないでしょう。とくに死んでいるでしょう。」

私は停車場へ急ぎ、思い切った勢いで東京行の汽車に飛び乗ってしまった。ごうごう鳴る三等列車の中で、袂から先生の手紙を出した。「私は書きたいのです。私の過去を書きたいのです。自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が止まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出来るなら満足です。」